SSブログ

震災から2年がたちました [被災]

3月11日
テレビの追悼番組にあわせて、黙とうをしました。
2時46分の直後激しい揺れに部屋を飛びだしました。
椅子とテーブルが一体型のウッドデッキの椅子に座り、
激しい揺れにテーブルにしがみついていました。
その時と同じ時間、場所に座っています。
遠く、ガスタンクが炸裂したのか「ドーン、ドーン」
今でも耳に残ります。
三回忌は、故人のご冥福を祈りながら、普段の生活に
戻る区切りの日だといいますが・・・・。
忘れずに前に進むのはなかなか難しいですね。
001.JPG
nice!(0)  トラックバック(0) 

南相馬に行ってきました [被災]

原発事故により、南相馬市からATOMAに
避難されていた、Aさんご夫婦を訪ねてきました。

南相馬市内にはあちこちに
たくさんの仮設住宅が団地のように集まって
つくられています。


Aさんご夫婦のお住まいの仮設住宅
006.JPG


以前から脚が悪くて・・・・と言っていた、
奥さんでしたので、心配していましたが、
お元気な様子で少し安心。
一緒に以前からごひいきのラーメン屋さんで、
おいしいラーメンをいただきました。
003.JPG


このお店も避難されてきていて、仮設店舗です。
005.JPG


ラーメン、Aさんに、ごちそうになってしまいました。
ぎゃくやろ! 皆さんに怒られそうですね。

他にもいろいろ・・・・
ごちそうさまでした。
福島に来たらよってくださいね。





nice!(0)  トラックバック(0) 

松島ユースホステル [被災]

なんだか、怖くて今までいけませんでしたが・・・
先日、仙台でペアレント研修会があったので、
その帰り、他のペアレントさん達と、古巣の
松島ユースホステルへ行ってきました。


ユースホステル協会に入って間もなく、
夏は松島、冬は花巻という生活が2シーズン
続きました。


仙石線で松島海岸駅まで、
ユースホステルのある、野蒜まではタクシーで。


010.JPG
敷地に入る道路がかろうじて残っていました。
建物は跡かたもなく撤去されています。

011.JPG012.JPG013.JPG

誰かが供えた花がありました。
僕も  合掌  

014.JPG
タクシーのドライバーさんは野蒜の出身だそうです。
遠くに見えるのは野蒜中学校・・・。
屋上まで波にのまれたそうです。


015.JPG
016.JPG
017.JPG

駅へ続く道沿いにはきれいな松林がありましたが・・・


018.JPG
野蒜駅です。

020.JPG
駅内部の階段には水の跡が残っていました。



021.JPG
022.JPG
野蒜駅のホームです。


023.JPG
新しい自販機が眩しかった。


024.JPG
松島海岸まで戻ってくると、
ほとんど以前と同じ生活を送っているように見え、
時間の流れを感じました。


あらためて、津波で被害にあわれた方々の
ご冥福をお祈りいたします。

合掌










nice!(0)  トラックバック(0) 

ATOMAの放射線量 [被災]

今日はATOMAの放射線量の
測定結果をお知らせします。

測定日 2012年 1月13日 
測定地上高 5㎝
(行政は通常1m)
単位 μsv/h
測定 各3回
検査器は中国製ですので、
信憑性に欠けますが、
概ねの評価は正しいと考えます。

玄関外    0.12 0.08 0.28
自宅玄関前 0.12 0.08 0.19
ウッドデッキ 0.21 0.23 0.14
(張り替えました)
テラス    0.23 0.21 0.14
(新築)
フロント前  0.16 0.14 0.16
リビング   0.10 0.14 0.07
食堂     0.16 0.10 0.21
浴室前    0.16 0.14 0.07
102     0.12 0.17 0.08
(一階和室)
階段上   0.12 0.07 0.10
201     0.07 0.17 0.16
(二階和室)
205     0.08 0.16 0.05
(二階洋室)
 

結果評価
当初より、概ね半分の値です。
特に張り替えた、ウッドデッキは1/3程度になりました。

 ATOMAの有る地域は、もともと放射線の少ない地域ですが、更に減っているのがわかります。この数値でしたら、暮らしていても健康に影響を与えることは少ないと一安心です。
   
nice!(0)  トラックバック(0) 

相馬、松川浦に行って来ました。 [被災]

火曜日、相馬に行って来ました。
家族で釣りや潮干狩りを楽しんだ思い出の
場所です。
震災後、怖くて行けませんでしたが、
オーバーですが、歴史の中にいる者として
見なくては・・・・。

11070512.SANY0067.JPG
目に飛び込んできたのは、穏やかな松川浦
静かな生活音のない、平坦な風景

11070512.SANY0068.JPG
11070512.SANY0071.JPG
11070512.SANY0069.JPG
海には、被害にあった建物や船がそのまま、
もうすぐ、4ヶ月だというのに・・・。

11070512.SANY0072.JPG
松川大橋。
橋の上ま津波が来たそうです。

11070512.SANY0073.JPG
崩れたコンクリートの塊の向こうに波が・・・
堤防と道路も破壊されたのです。

多くの方が犠牲になりました。
合掌。

生活音のしない町でしたが、少しずつ
復興も始まっていました。
高台で仮設営業する、蕎麦屋、
修理のためドックに入る船、
湾内の土砂を取り除くショベルカー
通りの脇には移動を待つ船が台座に
固定されていました。
なんだか福島と違い、動きを感じます。
福島は、原発事故の後、
避難地域が徐々に広がり、不気味さを感じます。
なんか、この苦しい感じ・・・。
もう暫く辛抱かな
「しびらっこく、がんばっぺ」




nice!(0)  トラックバック(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。